片野家と水道の歴史

歴史

■片野家と水道の歴史

平成19年1月18日
三島市はその昔、昭和40(1965)年頃までは、富士山の伏流水が市内各所にある湧水池から、こんこんと湧き出て水の都として全国に その名を知られる存在でした。

片野家は、4代前の片野宇七迄、江戸時代からその水と切り離せない関係で、本来の生業はとび職を本業とし、合わせて町の火消し組、組 頭、時には、とび、土工として水門工事、治水に伴う隧道工事などを手がけ三島宿に貢献してきました。 三島住民は、昔から豊富な富士山の湧水を、飲料水、炊事、洗濯等の生活用水として恩恵を受けてきましたが、明治28年(1895)頃、当時の三島住民の 間で、大規模な赤痢、疫痢などの伝染病が蔓延し、当然、生活用水を湧水を水源とした河川に頼っていた三島住民にとって重大な社会問題となり、その対策に苦慮する事となりました。



明治29年(1896)、当時の町の屋号で称する、木富、鍵屋、伊伝、佐野等の有力者が中心となり、その対策として、明治20年(1887)当時全 国で最初に簡易水道が布設された横浜の事例及び、明治23年制定(1890)の水道条例を参考に、三島宿に簡易水道を引く必要があると考え、民間発想の立 場で、設計をドイツ人技士(名前不明)に依頼し、施工の大役を片野藤三郎に委任しました。
当時水道工事に関しては、未知の分野であり、資材も英国より輸入し、横浜の水道事業も英国人技士のH・Sパーマー氏を顧問に仰ぎ施工が 行われて10年しかたっていないのが現状で、横浜に次いで東京、広島が着手している状況でした。
当然藤三郎は、未知のの仕事に取り組む事になるので、技術習得を目的として、明治30年(1897)東京都の淀橋浄水所に5年間の研修 に従事しました。
帰省後、明治36年(1903)、ドイツ人技士の指導のもと現在の芝本町浅間神社境内の湧水池を水源として、高台を利用した落下方式に よる、簡易近代水道を本町から大宮町にかけて、当時は、各戸給水ではなく主要各所に共同給水場として設置し、明治38年(1905)に完成しました。

片野設備(株)は、片野藤三郎の創業者から、今年で水道事業の創業113年{明治36年(1903)~平成28年(2016)}になり ます。 又全国で、横浜、東京、広島に次いで4番目の簡易水道施設を手がけた事業所でしかも、前項の3都市は、官指導進められた事業ですが、民間独自で行われた事 業としては、全国初めてのケースとなります。
当時は、産業革命のさなかで、日本の重工業が急速に進んだ時代ですが、給水に使用する鋳鉄管(遠心鋳造)の技術は、日本では製造出来 ず、継ぎ手、バルブ、ポンプ設備を含めイギリスより輸入しなければなりませんでした。当時の施設の一部として、共同給水場の吐水柱は、砂型枠に依る鋳造な ので、日本で作られたのが現在、片野設備(株)と、三島市水道部施設として浅間神社境内に石作りの受水槽と共に現存しています。藤三郎は、その後、熱海 市、下田市などの水道施設を手がけています。

明治時代の後半の日清、日露戦争、大正・昭和初期の大東亜戦争の時代は、富国強兵、軍備拡張の時代で、ライフラインに必要な資金も無く 水道事業は細々と継続されていた低迷の時代でした。その間、昭和15年(1940)皇紀2600年の祝賀式に、当時の東京府知事より、招待を受け、水道事 業に貢献した業績をたたえ、当時の東京府水道局長と同じ制服を受領しました。

昭和20年(1945)大東亜戦争終結と共に、藤三郎が逝去、時を同じくして、藤三郎の六男である片野栄一が復員(長男は戦死)家業を 引き継ぐ事となりました。
水道事業の復活は、戦後昭和21年(1946)より始まりましたが、資材不足で政府の物価統制による配給制度で、水道に必要な資材の手 当は、民間では出来ず役所指導で始まりました。
三島市も例外で無く、昭和32年(1957)頃まで、配水管の布設や、一般家庭の水道の水漏れや修理迄役所の管轄でした。その間、昭和 22年、片野栄一は三島市水道部に10年間奉職し、配水管布設や修理等の業務に従事して来ましたが、家屋が増え役所で応する事が段々困難になって来たの で、民間の水道事業者に委託する方法がないかとの役所からの打診があり、昭和36年(1961)当時三島市内で水道事業に従事していた業者は、片野水道工 務店、本間水道、三駿管工の三社のみで、三者が中心となって、任意団体の指定工事店の組合を設立し、初代組合長として片野栄一が就任しました。 設立当初 は、鉄工所、雑貨屋等10社位が参加しました。当初加入者の中には、水道事業に直接関連した業種が少なく、指定工事店として運営するには、経験、実績もな く国の定める、施工規準、認可書類の提出等、水道条例の規準に適合する対応が出来ず、次々と脱落最終的に前記3社が残りました。
その間、日本経済は、昭和25~28年(1950~1953)に勃発した朝鮮戦争の特需景気により、急速に回復し、国民生活に密着したラ イフラインに目を向ける余裕が出来、第一に電力事情の改善、第二に国民の衛生管理に必要な水道事業の推進に日本政府は取り組む方針を固め全国的に展開され る事となりました。

三島市も例外でなく水道事業に力を注ぐ事になり、水道業界は事業の拡大と共に組合員の指定工事店の加入者も増加して来ました。
片野水道工務店も事業の拡大と共に、昭和32年(1957)個人経営であった片野水道工務店から、片野設備株式会社を資本金2000万円 で設立、片野栄一が初代社長に就任しました。
その後、日本経済は、昭和37年(1964)東京オリンピックを境に神武景気が訪れ今日の日本経済繁栄の基礎を築く事となり、水道業界 も今迄の水道屋というイメージから脱却し、水・空気・エネルギーの総合建築設備業として発展し今日に至っています。
時代の新しいニーズに対応するため、平成8年(1996)初代社長片野栄一は、代表取締役社長を退任、会長職に就任、片野誠一専務取 締役が新たに代表取締役社長に就任しました。
  
 平成28年(2016)11月、三代目社長片野誠一は代表取締役を退任、代表取締役会長に就任、四代目社長に片野彰一専務取締役が新たに代表取締役社長に就任しまいた。


年表

  • 【先祖片野宇七】

>>江戸・安政・慶応・明治時代

  治水、隧道、水門の建設

>>明治14年(1881)

  町村令により三島宿より三島町

  • 【片野藤三郎(初代水道事業創始者)】

>>明治28年(1895)

  三島町に赤痢、疫痢が大発生

>>明治29年(1896)

  ドイツ人技士による水道事業計画

>>明治30年(1897)

  東京府淀橋浄水所に5年間研修

>>明治36年(1903)

  三島町の簡易水布設 明治38年完成。
  全国で施工順位4番目 民間施工では1番目

>>明治後期・大正・昭和初期

  下田、熱海の簡易水道を手がける。

>>昭和15年(1940)

  東京府知事より、水道事業の功績 により褒章される。

>>昭和16年(1941)

  三島町より三島市となる

  • 【二代目 片野栄一】

>>昭和21年(1946)

  復員後戦時中停滞していた水道業の家業を引き継ぎ個人経営の片野水道工事店を設立、
  今日の片野設備の基礎を築く

>>昭和22年(1947)

  三島市水道部に10年間奉職

>>昭和32年(1957)

  退職後事業拡大と共に、個人経営の片野水道工務店を片野設備株式会社に設立

>>昭和36年(1961)

  任意団体三島市水道指定工事店組合発足、初代組合長に就任

>>昭和61年(1986)

  正式認可団体、三島市上下水道指定工事店協同組合設立。
  初代組合長に就任

  • 【三代目 片野誠一】

>>平成8年(1996)

  片野栄一が退任、会長職となりその後任として、
  代表取締役社長に就任以後下記の通り関連業界の役員を務める
  ※三島市上下水道指定工事店協同組合理事長

  • 【四代目 片野彰一】

>>平成28年(2016)

  代表取締役片野誠一が退任、代表取締役会長職となりその後任として、
  代表取締役社長に就任しました。
  「創業の精神を基に、努力と変化をいとわず、最善のサービスを提供できることと確信しております。」

片野設備 株式会社
〒411-0035
静岡県三島市大宮町3-3-12
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